2015 Dec 18 : Should MKK students participate in shiai or not? (English & Japanese)

In general, I do encourage Meikyokan students to participate in tournaments.

There are exceptions to this. For example, if you have an injury or are still recovering from an injury; if there are safety concerns; if the format of the tournament cannot properly accommodate you for some reason; and so on. These kinds of situations can be evaluated on a case-by-case basis.

Basically I consider competition to be a useful tool for learning kendo. Why?

• It's much, much more difficult to win than it is to lose. We should challenge ourselves with difficult tasks.

• Facing unfamiliar opponents - from other dojos or from other countries - can be exciting and fun. And win or lose, we always learn a lot about ourselves, as well as the kendo we do, from these situations.

• Participating in or even just watching competitive kendo can be fun / inspriring / interesting / etc. Reflecting on what you're seeing in competition can give you a different frame of reference that's very useful whenever you (re)consider your own kendo. And actually, gaining new perspectives can be useful to your learning regardless of whether you love competitive kendo or hate it.

• Preparing for scheduled events can be a nice way to motivate ourselves, or to organize and structure various aspects of our training.

• For better or for worse, it is a fact that competition is an extremely important part of kendo practice today. When a kendoist avoids competition - for whatever reason - it's highly unlikely that they will ever develop a deep understanding of the theory and practice of competitive kendo. Consequently these individuals tend to have a very limited capacity to critically reflect on the relationship between the teaching of kendo fundamentals and it's competitive orientation. In other words, being that so much of fundamental kendo technique is deeply intertwined with the techniques, tactics, and logics of so-called "competitive kendo", any lack of understanding about competitive kendo tends to leave the student largely unable to think through the myriad implications and meanings that spring from these historical connections. This applies to both teachers and students and matters zero whether they are aware or unaware of these relationships.

• It's hard to know what kind of decision-making and choices you will make under pressure, unless you are actually in a situation heavy with pressure. Imagining being in a pressure situation and actually being in a pressure situation are two different things.

• None of us truly know how we would respond during a match that never actually happens. Will we be able to maintain our commitment to doing disciplined, dignified kendo? Or will we take shortcuts to scoring points? Exactly what kind of things make us lose focus? Lose our composure? Cause distraction? Sometimes it's good to put ourselves in contested, unscripted situations - even when it leads to our discovery of things that we don't like about ourselves. It just means that we have an opportunity to deal with them.

• We can also learn a lot about ourselves by seeing how we respond to winning or losing.

• It's been said that the experience of losing provides more opportunities for self-reflection and self-improvement than winning does. If this is true, then maybe it's not so bad to experience losing over and over again. Luckily, the competitive model ("one winner, everybody else losers") provides waaay more opportunities for losing than for winning.

• Competitive kendo is often filled with an overemphasis on winning, countless instances of errors of judgement, inflated egos, fetishization of speed and physicality... the list goes on and on. But many of the problematic elements that we encounter in competitive kendo - though they may be annoying or even repellent to our sensibilities - experiencing these points of contention are actually essential to our own growth and learning. How we respond to the values and choices of others that we don't agree with is a powerful tool for clarifying our own intentions and commitments. We need contrast in life. It sharpens our analyses and provides a rich, complex world to live in.

• It's important to note that all of the negative things that make competitive kendo problematic, aggravating, ridiculous, etc., are also found in all other realms of life.

This is just a small list. Please let me know your thoughts, both now and after you've participated in or seen a few tournaments.

I encourage everyone to read the essay Kendo shiai - an object of ridicule by Maeda Kunio sensei (Kaifukan Kendo Club in Kailua, Oahu). I agree with many of his observations and individual points but our interpretations differ and in the end we reach different conclusions.

~ jks

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·        試合に勝つということは、試合に負けることよりもはるかに難しいことです。私たちは、難しいことに自分をチャレンジさせる・・・そういった姿勢を持つべきだと思っています。

·        自分がよく知らない相手(例えば他の道場や他国の剣士 たち)と対戦するこは、とても面白くワクワクするものでもあります。そして、私たちが普段の稽古を通して常に多くの事を学ぶのと同じように、試合に勝とうが負けようが、試合を通して学べることが沢山あります。

·        試合に出場する、あるいは、試合を見学するだけでも、それはとても楽しく、自分の気持ちが奮い立たされ、大変興味深いものです。試合を見たことによって、自分が剣道について考える(再考する)際に、自分がこれまで持ち合わせていなかった今までとは異なる思考軸のようなものが自分の中にめばえていることを感じると思います。試合剣道が好きであっても嫌いであっても、そういったことに関わらず、自分の思考の視点や、考える角度を増やすしていく・・・ということは、ものを学ぶときにとても役に立つ事であります。

·        試合に出るという、自分が決めた目標に対する準備をしていくことは、自分自身のモチベーションアップさせたり、自身の稽古内容をどのように組み立て・調整していくべきかをあらゆる側面から考えることになり、とてもよいことだと思います。

·        善かれ悪かれ、試合というものが、今日の剣道において非常に重要な位置づけになってきている・・・というのは事実であります。試合に出ることを避けてしまうと(試合を避ける理由がどんな理由であれ)その人は、おそらく、相手と闘うという要素を持った剣道の理論や実践について、自身の理解を深めていくことはほとんど不可能になってしまします。 その結果、剣道の基本と相手と闘うということとの間にある相互関係についてじっくり両者を照らし合わせながら剣道を教えていくことに、どうしても限界が生じてしまいます。言い換えれば、剣道の基本的な技術というものは、所謂、“闘うための剣道”の技術・戦術、その道理に非常に深くつながっているのです。試合(相手と闘う)というものに関して、理解が低くなってしまえばしまうほど、過去の剣道の歴史、闘いの歴史が育んできた無数の教えやその意味を体得・修得することから大きくかけ離れていってしまうことでしょう。このことは、生徒だけが学んでいくものではなく、師においてもいえることです。「剣道の基本」と「闘うための剣道」両者の関係性について“知っている”“知らない”・・・ということは全く問題ではないのです(なぜなら、いくら情報や知識を持っていても、実際に経験していなければ、それが本当にどのようなものであるかを想像することすら非常に困難だからです)。

·        自分が何らかの窮地に立たされたとき(プレッシャーをかけられたとき) に、その状況下において自分がどのような判断や選択をするのか・・・実際、その状況になってみないと、なかなかそのことを予測するの難しいものです。自分が窮地に立たされているのを想像することと、実際に、その場に置かれていることというのは2つの異なる状況であります。

·        誰一人として、まだ始まってもいない試合において、自分がその試合の中で。どのように反応するのかよくわかっている・・・と、答えることはできないはずです。私たちは、自分を律し、威厳のある剣道を試合中ずっと守っていけるでしょうか?あるいは、(威厳ある剣道を忘れ)得点をとるためにの、早道剣道をしてしまうでしょうか? 私たちの集中力を奪っていくものは何なのでしょうか?何が、私たちの落ち着きある心を乱すのでしょうか?何故、私たちの注意力は散漫してしまうのでしょうか?筋書きの存在しない競い合いの場にときどき、自分の身を置くことはよいこだと思います。たとえ、そうすることによって明るみになることが、自分が知りたくなかった事実であったとしても・・・です。このような状況は、ただ単に、自分が、新しく見つけた自分の課題に対して向き合い、解決するための機会をもらったのだ・・と考えればいいだけのことです。

·        試合に勝ったとき、負けたとき・・・、そのときに、自分がどんな反応をするか・・・それを知ることによって、自分自身について、多くのことを学べます。

·        よく言われていることととして、試合に勝つよりも、負けたほうが、実は、自分自身について振り返る機会をより多く得ることができる、そして、そのことにより、自分自身が成長していくものだといいます。もし、これが本当だとすれば、試合に負け続けることも、そんなに悪いことではないはずです。幸いなことに競技形式(1人だけが勝者となり、あとは全員敗者となる形式)というものは、負ける・・・という機会を沢山提供してくれるモデルとなっています。

·        試合剣道というものは、しばしば、勝つ事だけに重点を置かれたり、数えきれない自身の判断ミス、自分自身に対するおごり、スピードや体力への異常なこだわりなど・・・あげればきりがりませんが、このようなもので満たされています。しかしながら、試合剣道の中で出くわすこれら沢山の問題要素、つまり、争いに伴う諸々の課題点(これらは、自分にとって非常に悩ましいものでったり、あるいは、まったく気にならないものもあるでしょうが)を、自分自身で体験・経験することは、私たちが成長したりものを学んでいく上で、不可欠なことだと思っています。自分とは異なる価値観や選択肢を持つ人間に対して、しっかりと向き合って対処していくということは、自分自身の意思や自分自身への誓いがどのようなものであるかを明らかにしていく上でも、非常に有力な方法です。私たちの人生には対照的な存在・・・というものが必要です。その存在によって、私たちの分析力が研ぎ澄まされ、豊かで複雑な世界が広がっていくのだと思います。

·        剣道の試合というものを、問題の多いもの、腹立たしいもの、不合理なもの・・・にしてしまうすべてのネガティブな要因というものは、実際のところ、私たちが生きている世の中のあらゆる分野においても同じように存在しているということも述べておくことが大切と思い、ここに記します。


皆さんに、Maeda Kunio先生(海風館道場 カイルア オアフ)が書かれた「剣道試合への疑義と憂慮」と題されたエッセイを読んでみることをお勧めします。前田先生の見解や1つ1つのお考えの多くに私は賛同しています。しかしながら、私と先生の試合に対する解釈は異なり、最終的には異なる結論を導いています。


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